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産島神社の祭礼(うぶしまじんじゃのさいれい)天草市

産島神社の祭礼のイメージ1
産島神社の祭礼のイメージ2

所在地

天草市河浦町宮野川内

利用案内

  • 駐車場:あり
  • トイレ:あり

解説

海を渡る祭礼

「海を渡る祭礼」のおこり

この産島八幡宮大祭は国内でもごく数例しかない、ご神体が海を渡る祭礼の一つです。神宮皇后が朝鮮に出兵された時にこの島で応神天皇をご出産になったとか、あるいは、景行天皇が熊襲討伐のため九州に来られた際、女官の一人が出産されたなどの伝説があるため「産島」と名付けられたと伝えられています。この時、湧き出ていた泉の水はその出産のときに産湯(うぶゆ)として使われたといい、今でも安産祈願(あんざんきがん)に御利益(ごりやく)があるといわれています。

地域で受け継ぐ祭り

毎年10月の第4土日がお祭りです。上平の神社での獅子舞、男女それぞれの太鼓踊りに始まり、鳥毛振ったり,太鼓踊りを踊りながら港までの道中を行列が進みます。港でご神体をのせた御輿をそのまま船に乗せ、十数隻の船による海上の神幸行列が行われます。産島に着くまで大漁旗を掲げた10数隻もの船上では、色とりどりの着物を着た子どもたちの踊りが延々と続けられ、実に華やかな光景が繰り広げられます。岸壁には大勢の観客のほか、観光ツアーのカメラマンも大勢詰めかけます。神幸行列は神輿の作製等から見て明治の初期には今の形式になたったと考えられているそうです。
以前は天草有数の市が立っていたといわれ、祭りの日には通りいっぱいに多くの店が立ち並び、馬を引いて山を越え、海を渡って、遠隔地から生活物資を買い付けに来る人たちが多かったといいます。以前は3日間に渡って祭りが行われていましたが、時代の流れとともに現在は2日間に短縮されています。それでも祭りの2日間は大勢の人手と出店で賑わいを見せ、海を渡る祭礼に花を添えています。
現在は、上平地区の役員を中心に組織され、祭りの運営会議のほか、神幸行列の練習も行われます。行列も以前は上平地区の人々だけで組織されていましたが、数年前から宮野河内地区の中学生が全員で上平地区の小学生とともに行列に参加するようになりました。また、上平地区出身で他の地域に住んでいる人々や地元出身の高校生も祭りの時には法被(はっぴ)をまとい、行列に参加したり、御輿をかついだりしています。このように、この日本でも数少ない伝統的な「海を渡る祭礼」は、地域を挙げて多くの人々の手によって受け継がれています。

参考文献

濱名志松「天草伝説集」 『河浦町の文化財』 河浦町教育委員会 葦書房 1986

地図

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