前のページに戻る

富岡稲荷神社の初午大祭(とみおかいなりじんじゃのはつうまたいさい)苓北町

富岡稲荷神社の初午大祭のイメージ1
富岡稲荷神社の初午大祭のイメージ2
富岡稲荷神社の初午大祭のイメージ3
富岡稲荷神社の初午大祭のイメージ4

所在地

天草郡苓北町富岡

利用案内

  • 駐車場:あり
  • トイレ:あり

解説

町挙げての出し物が見物

延宝元(1673)年に始まり、約350年の歴史を持つ富岡稲荷神社の初午大祭。毎年旧暦2月の初午(はつうま)の日に行われます。五穀豊穣、商売繁盛と、特に昔、火事が多かったことから火災が起こらないようにという願いと厄払いという願いがこめられています。 戦前は、一丁目・元袋は「川船」、二丁目・尾越は「ほっくり飴(あめ)」、三丁目は「潮吹き鯨」、四丁目は「コッコデショ」、五丁目は「鍾馗大神(しょうぎだいじん)」、新町は「忠臣蔵(四十七士)」、出来町は「蛇踊り」、「歌舞伎(段もん)」と町ごとに奉納の出し物も決まっており、一日中町内を練り歩き、町を挙げての祭りでした。戦後になると、過疎化などの影響もあって途絶えがちとなり、毎年2~3の出し物が奉納される程度になっています。そんな中、平成6年に35年ぶりに「忠臣蔵」が、平成9年には88年ぶりに「川舟」が復活し奉納され、徐々に地域を挙げて伝統芸能を受け継ぎ、未来へ残していこうという気運の盛り上がりが感じられます。

川舟(一丁目、元袋)

明治42年以来途絶えていたが、平成9年、88年ぶりに復活。漁師に扮した子どもが舟の上から投網で魚をすくい上げる漁法を披露し、また担ぎ手が「アーヨイヤセー、アーヨイヤセー」のかけ声に合わせて、船体を大きく回転させる引き回しも豪快で見ものです。

ほっくり飴(二丁目、尾越)

江戸末期、二丁目の保次郎(ほくじろう)という若者が江戸の菓子屋での修行を終え、嫁を伴い帰郷して飴屋を開きました。しかし、商売はなかなかうまくいかず、思いついたのが音楽で囃し立てての行商。妻の三味線、唄に合わせて、飴箱をバチで叩いて踊り回り評判を得ました。これをヒントに、二丁目・尾越の人たちがにわか風に唄や踊りを脚色し、初午大祭に奉納したのが始まりです。笛、太鼓、ドラ三味線によるシャギリ(ブラスバンドのようなもの)が一の切りから二,三の切りへとテンポを速め、盛り上がったところでほっくり飴が登場。「お江戸下りの飴屋さんサヨイヨイ、飴は売らずに唄ばかり・・・」とかすり姿の飴屋さんが一節歌うと、飴箱を脇にしたほっくり飴が「ヤッサーほっくり飴じゃ・・・」と身振り手振りも面白く踊りまくる。全国でも珍しい芸能だと言われています。

コッコデショ(四丁目)

難破した堺の商人を助けた際、御礼にその商人が富岡の漁師たちを接待。命の助かったことを喜び、担いだ台ごとほうり上げたのがおこりで、「コッコデショ」というかけ声が名前の由来。太鼓をたたく3人の 子どもを乗せたまま、200キロもある台が空中に舞います。

蛇踊り(出来町)

出来町の伝統の出し物であった段もん(歌舞伎)に代わり、昭和32年2月の初午大祭で初めて奉納され ました。蛇踊りは、海を越えてやってきた中国文化の香りを色濃く残していて、演技の中で蛇が追う金 の玉は太陽を表し、銀の玉は月を表し、ドラの音は風を呼び、太鼓の音は稲妻を表し、パラパラの竹の音 は降り注ぐ雨音を表し、高らかに鳴り響く蛇笛の音は蛇の鳴き声を表しています。全長11mの大蛇が太 陽を捜し出し追いかけていく壮大な蛇の舞で、踊り手9人の息がぴったりと合った勇壮な演技です。

参考文献

『わたしたちのまち苓北』 苓北町教育委員会 2002

地図

ページの先頭へ戻る