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棚底城跡(たなそこじょうあと)天草市

棚底城跡のイメージ1
棚底城跡のイメージ2
棚底城跡のイメージ3

所在地

天草市倉岳町棚底

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

すばらしい眺望は誰のものだったのか

棚底城跡は、天草最高峰の倉岳(標高682m)のすそ野に位置しています。城跡からは、海の向こうに御所浦の島々や芦北・水俣地方を見渡すことができます。城主は不明ですが、「天草五人衆」とよばれた上津浦(こうつうら)氏と栖本(すもと)氏の間で、天文13年(1544年)から永禄9年(1566年)にかけて10回余りの合戦があり、このことから、両氏のどちらかではないかと考えられています。

棚底城にみられる高度な建築技術

平成13年~15年(2001年~2003年)に実施された調査によると、棚底城は16世紀に隆盛期を迎えたと考えられ、本丸にあたる主郭を中心に合計8つの郭(くるわ)から成っており、高い築城技術があった多くの証拠を残していることが分かりました。
館の土台となる柱穴は直径約30cm、深さ30~50cm、のみを使って硬い岩盤をくりぬき、空堀も同様に作られています。また、海石や山石を使って野面(のづら)積みの石垣が何重にも築かれています。これらの調査結果から、築城当時、高度な技術を持った石工集団が関わっていたのではないかと考えられます。
主郭には、「御館(おやかた)」とそれにつながる「舞台(お縁)」がありました。柱を立てる柱穴の並びや大きさから、「御館」の大きさは、南北12m、東西9.7mであることが分かりました。内部には広間があり、屋根は瓦ではなく、板に防風用の石が重しとして載せられていました。また、舞台は南北5m、東西10.7mありました。

出土品から分かる当時の生活

城跡から出土したものに、「面取風炉(めんとりふろ)」があります。風炉とは、茶道で使う道具で、焚口(たきぐち)が方形にえぐりとられているものが面取風炉です。風炉の上に茶釜を載せ、内部に入れた炭火で湯を沸かしました。同様に、天目茶碗の破片や茶臼などの茶道具も出土しています。
また、碁石や中国製の青磁や白磁など海外の焼き物も出土しており、海を越えた文化がここ天草にも及んでいたことが分かっています。

参考文献

天草市教育委員会 編『天草市文化財調査報告書 棚底城跡3・大権寺遺跡』天草市教育委員会、2009年

周辺情報

近くの見どころ:宮崎石棺墓群、石垣やこぐり(地下水路)が残る棚底の街並み

地図

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