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楠浦眼鏡橋(くすうらめがねばし)天草市

楠浦眼鏡橋のイメージ

所在地

天草市楠浦町中原

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

楠浦の眼鏡橋

楠浦眼鏡橋は、楠浦町と宮地地区を結ぶために、方原川(ほうばるがわ)に架けられたものです。現在、建造されている橋は、ほとんどがコンクリート製ですが、江戸時代中期まではほとんどが木製の橋でした。しかし、木製の橋は痛みやすく、壊れにくい橋を造ろうと考えた当時の人びとは、石を使って橋を造りました。
ところで、石橋には楠浦の眼鏡橋のように、橋全体がアーチを描くようになっているものと、人が通行する部分は直線になっているものがあります。全体がアーチ型になっているものは、近くの神社や寺院の参道としての品格を保つためにそのような構造にしたといわれています。
楠浦橋は、長さが約26m、幅は約3mあります。秋祭りで地元の人びとの祭りの行列が、この橋の上を練り歩いている姿は、遠い歴史を彷彿させ、この橋を造らせた宗像堅固(むなかた けんご)の威徳を今に伝えています。

宗像堅固とは

江戸時代、天草は大半の時期が幕領(幕府直轄地)であり、楠浦村庄屋として村政にあたっていたのが宗像氏です。先祖は福岡県宗像郡から移り住んできたといわれています。この地域には方原川が流れていましたが、たびたび氾濫を起こし、そのたびに大きな被害を受けていました。
そこで、この方原川の流れを変えるため、堀切(人工の川)を造るための大工事を行いました。土地の様子を調べ、どのように工事を進めればよいかを考え、周囲に相談しましたが、ほとんどが反対したそうです。それでも、村人たちのためにと考え、工事の決断をしました。多くの費用と人びとの協力が必要となりましたが、この工事のおかげで、これまで大雨のたびに氾濫していた方原川も氾濫がなくなり、豊かな恵みがもたらされるようになりました。

参考文献

本渡市史編さん委員会 編『本渡市史』本渡市、1991年
本渡市文化財保護委員会 編『本渡市の文化財』本渡市教育委員会、1990年
天草地区建設業協会 編『天草建設文化史』天草地区建設業協会、1978年

地図

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