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神瀬の石灰洞窟(こうのせのせっかいどうくつ)球磨村

神瀬の石灰洞窟のイメージ

所在地

球磨郡球磨村岩戸

利用案内

  • 駐車場:あり
  • トイレ:あり

解説

自然の神秘と人々の歴史を感じる「石灰洞窟」

神瀬の石灰洞窟ってどんな洞窟だろう

神瀬の石灰岩の洞窟(鍾乳洞)は、中生代の三宝山帯(2億3千5百万年~1億4千3百万年以前)の石灰岩の地層で出きており、開口部の横が約40m・高さが約17mほどです。手前40mほどは入れますが、奥の「御池」とよばれる水をたたえるくぼ地の部分(幅約25m)には入れません。洞窟(どうくつ)の正面右上から左下に向かってこの洞窟をつくる原因になった断層が見られます。雨水が、この断層に沿って地下にしみ込みこの神瀬鍾乳洞をつくりました。洞窟内には、鍾乳石や石筍(せきじゅん)がみられますが、石柱は見られません。鍾乳石は、天井の大きなもので3mほどになっています。

神瀬の石灰洞窟は、どうやってできたのか

石灰岩は、炭酸カルシウムという成分を多く含む白っぽい岩石です。炭酸カルシウムは、酸性の液に泡(二酸化炭素)を出してとけてしまいます。地表に降る雨は、弱い酸性をしています。そのため、雨水が石灰岩の割れ目やすき間をとおって流れる時、石灰岩を少しずつとかしていきます。この現象が長い年月をかけてすすむと石灰岩の中に大きな空洞(くうどう)が出きあがります。そして、空洞内の天井から石灰岩をとかした雨水がポタポタ落ちる現象が続くと、そこに鍾乳石ができます。こうして出きあがったものが、鍾乳洞(しょうにゅうどう)です。

神瀬の石灰洞窟と人とのかかわり

現在知られている範囲では、室町時代のころ(約570年ほど前)には時竜音寺と厳竜寺という修験堂(しゅげんどう)が建てられていたそうです。しばらく途絶えた後、現在の熊野座神社のもととなる社壇が約420年ほど前に建立されています。また、この神瀬の石灰洞窟のように、横穴式でその奥に水源を持っているとなればそれ以前の人間にとっても利用しやすい環境だったと考えられます。のちに江戸時代の知識人:橘南けい(たちばななんけい)が書いた「西遊記」にもこの洞窟が紹介されています。その中で、この洞窟の中にすむ数百羽の一足鳥(イワツバメのこと)を捕ればわざわいが起こると信じられ、住民が大切に守っていると記録しています。また、室町時代以降、崇拝の対象としてまつられながら周囲を大切に保存され、その奥にわく地下水は、生活用水として活用されてきました。

参考文献

西岡鐵夫 『熊本の天然記念物 熊本の風土とこころ第2集』 熊本日日新聞社 1980
熊本県教育委員会 『親子で親しむくまもとの文化財』 熊本日日新聞社 1995
熊本日日新聞社情報文化センター 『くまもと自然大百科』 熊本日日新聞社 1995
豊原富士夫ほか 『土地分類基本調査 1万分の1表層地質図「佐敷・大口」』 熊本県 1990

周辺情報

近くには、球泉洞があります。

地図

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