西村義人

 穏やかで清廉な絵に多くのファンがいる不知火町生まれの画家西村義人。東京美術学校を卒業後、中学校の美術教諭となり、多くの美術愛好家や画家を育てました。
 退職後は1年余りパリに滞在。美術の知識や技術を貪欲に探求しました。足しげく通ったルーブル美術館では多くの画家たちと同様に、名だたる巨匠の作品を模写し技術を磨きました。
 西村が残した多くのスケッチブックには、スケッチの他にも絵に向き合う心構えや信念がうかがえる文章も記されています。その中に、「説得力のある絵画には『純粋な感動』がなければならない」という言葉があります。見る人が西村の絵に引き付けられるのは、偽りのない作家の感動が描かれているからなのかもしれません。

西村義人《シテ島の朝》1969年

作者略歴

1910年 熊本県宇土郡不知火村(現 宇城市不知火町)生まれ
1931年 東京美術学校(現 東京芸術大学)卒業

以後、兵庫県立伊丹中学校をはじめとして、戦時中は朝鮮に渡り公立釜中学校にて、戦後は帰熊し、熊本市西山中学校・白川中学校・帯山中学校・錦が丘中学校にて、教諭を歴任。大戦で中断していた絵画制作を再開したのは1954年頃のことで、白川中学校時代にあたる。

1957年 日展初入選 以後8回入選
1958年 熊日総合美術展 社長賞「憩える」
1959年 セルパンで定例の新春個展をはじめる
1963年 熊日総合美術展 招待作家となる
1968年 錦が丘中学校を退職 8月渡仏

この間、パリ公募展に入選する。
スペインへスケッチ旅行にゆく。

1969年 11月帰国
1970年 セルパンでの新春個展を再開 日展への出品をやめる
1972年 三樹社(清原武則・西山進・西村義人)を結成 第1回展を開催
       東京での個展では、福田赳夫元首相や渡哲也などが作品を購入
1973年 三樹社第2回展(熊日画廊)
1980年 古希記念展(アートスペース大宝堂)
1982年 11月死去(72歳)

2010年 生誕100年記念 西村義人展(宇城市不知火美術館)

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