向陽寺の梵鐘(こうようじのぼんしょう)上天草市
所在地
上天草市松島町合津
利用案内
- 駐車場:あり
- トイレ:あり
解説
上天草市松島町の向陽寺は、享保年間(1716~36)に大矢野町の偏照院の別庵として開かれた寺院で、かつては向陽軒とよばれていました。この寺院には「雨乞いの鐘」とよばれる梵鐘が保管されています。
天草は地域がら保水力のある山が少なく、昔から水不足になることが多々ありました。この鐘は、日照り続きで水不足のとき、松島の海に浮かぶ池島において雨乞いをしていたときに使用していたものです。池島には、2本の木が絡み合った松があり、この松は「鐘掛け松」とよばれていました。この松に鐘をかけ、打ち鳴らして龍神をよぶ雨乞いをしていました。
このころの雨乞いの言葉としては、寺院で行う場合は、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」「消災呪(しょうさいしゅ)」などが詠まれており、池島では「施餓鬼供養(せがきくよう)」を行っていたのではないかといわれています。
『松島ふるさと物語』では、「ある年、雨乞いをしていたところ、たちまち黒雲が立ちのぼり、そして暴風雨が起こりました。集まっていた人びとは、鐘を小船に乗せて逃げ帰ります。帰る途中、不運なことに鐘をのせた一隻が転覆し、やっと岸に泳ぎ着いたということです。その時落としたのがこの鐘である」と紹介しています。
この鐘は、昭和53年(1978年)1月8日、天草五橋(5号橋)近辺の海中で発見されました。1年ほどは発見者の自宅で保管されていましたが、鐘には向陽軒の文字が書いてあることが分かり、急いで向陽寺に届けられたそうです。長い年月をかけてこの鐘はもとの寺院に帰ってきました。
この鐘に刻まれた銘文を読むと、寛保3年(1743年)3月、向陽軒の2代住職・丹圓和尚のときに肥前の鋳工・谷口安右衛門の手によりつくられたもので、施主は阿村太次右エ門ほか1名(名不詳)であることが分かります。この鐘を見て、向陽寺の住職は、「この鐘は、鐘を鳴らすという役割は終えたけれども、歴史を伝えるという役割があります」と話されています。小さいながらも精巧で気品漂うこの鐘をぜひ県民のみなさんに見ていただきたいと思います。
参考文献
松島町教育委員会 編『松島町文化財等昔物語集 松島ふるさと物語』松島町教育委員会、2002年