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不動岩(ふどうがん)山鹿市

不動岩のイメージ1
不動岩のイメージ2

所在地

熊本県山鹿市蒲生

利用案内

  • 駐車場:不動岩横に5台分あり
  • トイレ:駐車場横にあり

解説

不動岩ってどんな岩?不動岩の秘密

不動岩って何?

山鹿市東部の三玉地域では、山腹に不動岩と呼ばれる奇岩が露出しています。古くは山伏の修験場であり、民話の題材としても使われています。現在は、九州自然遊歩道のルートとしても親しまれています。
この不動岩は、赤紫色の礫岩(れきがん)層からできています。同じ岩相を示す礫岩は、三玉地域の山地の南東斜面と、蒲生東方湯の口池の北西側斜面、首石岩から一つ目神社まで分布します(渡辺・藤本、1993)。

不動岩はどういう岩でしょう?

不動岩は、一見してわかるようにゴツゴツとした感じがする岩です。よく近づいてみると、小さな石ころから大きな石まで様々な大きさの石がくっついて不動岩を形作っているのがわかります。このように、石ころがくっついて大きな岩石をつくっている岩を礫岩(れきがん)といいます。不動岩をつくっている石ころの大きさは、小さいものは5mmくらいから、大きなものでは直径50cmにもなります。

不動岩はいつ頃、どうやってできたのでしょう?

不動岩は、3~4億年以上も前の古生代の「変はんれい岩」のれきを主とする礫岩(西村・柴田、1989)です。変はんれい岩とは、深成岩であるはんれい岩が、熱や圧力で変化したものです。不動岩は、この他に、珪質変岩(チャートに似た岩石)、緑色変岩(緑色の硬い岩石)、泥質変岩(黒い縞模様が見える岩石)などからできています。まれに花崗岩を見ることがありますが、全体の1%以下です。
これらの岩石が、気の遠くなるような年月をかけて、崩れて水に流され、洗われ、丸い石や砂になり、厚く積み重なって強い圧力を受け、岩盤となり陸地になりました。さらに、雨や風、地震や断層によってしだいに崩れ、残ったのが今の不動岩です。
この不動岩をつくっている礫岩に含まれる花崗岩は、約1億年前の岩石です(笹田、1987)。これらの石が混じっている不動岩は、少なくとも1億年より新しい岩石であると思われますが、証拠がないのでいまだに正確な時代がわからない不思議な岩なのです。

不動岩にまつわる伝説

「山鹿市三岳の彦岳と不動岩は異母兄弟で、母は実子の不動岩を可愛がっていた。ある日、母は『首引きをして勝った者に宝物の3つの玉を与える』と約束した。そこで二人は一生懸命力をふりしぼって戦ったところ、彦岳の方が強く、不動岩の首がとんでしまった。これが、今の『首石』であり、その時の出血で三玉の土は赤土となった。首引きの時、二人の力で土が盛り上がってできた山が、今の震岳であり、この山の頂上の2つの凹地は首引きの際の縄跡である」と言われています(案内板:環境庁・熊本県)。

不動岩の名前のいわれ

不動岩の名前は、平安時代、山伏たちがこの山中にこもり、不動明王を本尊として祀り、修行したことに由来します。当時たくさんの山伏たちがこの岩のまわりに坊を建て修行していたと伝えられています。

参考文献

古家修 「山鹿市域および周辺の地質」 『山鹿市史』上巻 山鹿市 1985
渡辺一徳・藤本雅太郎 『土地分類基本調査 5万分の1表層地質図「山鹿・荒尾・大牟田・久留米」』 熊本県 1993
西村裕二郎・柴田 賢「"三郡変成帯"中の変斑れい岩質岩石の産状とK-Ar年代」『地質学論集33』 日本地質学会 1989
笹田政克 「豊肥地域の先第三紀基盤岩類」 『地質調査所月報38』 1987
島田一哉・宮川英樹・一瀬めぐみ 「不動岩礫岩の帰属について」『熊本地学会誌120』 1999

周辺情報

周辺の施設としては、八千代座、山鹿灯籠民芸館、山鹿市立博物館、清浦奎吾記念館、一本松公園などがあります。見どころは、湯の口横穴群、方保田東原(かとうだひがしばる)遺跡、山鹿灯籠踊り、桜湯、首石岩、一つ目水源、方保田石橋などです。

地図

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