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立野火口瀬(たてのかこうせ)南阿蘇村

立野火口瀬のイメージ1
立野火口瀬のイメージ2

所在地

阿蘇郡南阿蘇村立野

利用案内

  • 駐車場:憩いの家温泉若干台・長陽大橋13台
  • トイレ:長陽大橋にはなし

解説

阿蘇カルデラ唯一の切れ目、立野火口瀬!

カルデラってなに?

まず、「カルデラ」とは、スペイン語で「大きな鍋」という意味で、火口より大きい火山性の凹地のことをいいます。では、火口とカルデラはどう違うのかというと、そのでき方ではなく、大きさで区別されます。普通、火口の大きさは直径1kmを超えないといわれていますが、それよりもはるかに大きい火山性の凹地をカルデラと呼んでいるのです。そして、カルデラを伴う火山を「カルデラ火山」と呼んでいます。

阿蘇カルデラってどうやってできたの?

阿蘇火山は、巨大なカルデラを持つ典型的なカルデラ火山で、そのカルデラの大きさは、南北約25km 、東西約18km、面積は約380平方kmにもなります。では、こんなに大きなカルデラはどうやってできたのでしょう。

阿蘇火山は、27万年前から9万年前までに4回、巨大な火砕流(高温のガスと粉体の混合物)を主とする噴火をしていることが分かっています。この噴火は、古い方から「阿蘇−1」、「阿蘇−2」、「阿蘇−3」、「阿蘇ー4」と名前が付いていて、それぞれの噴火には、数万年というかなり長い時間間隔があったことも分かっています。「阿蘇−1」から「阿蘇−4」までを重ね合わせた厚さは、200mを超えるところもあり、特に「阿蘇−4」の火砕流は、大きいものでした。火砕流は阿蘇火山から広がって海岸に達し、さらに海を渡って島原半島、天草下島や山口県まで届いています。
さらに、「阿蘇−4」火砕流の噴火に伴う火山灰が、北海道東部で厚さ15cmの堆積物として確認されていて、噴火がいかに大きかったかが分かります。これらの大きな4回の噴火により、そのつど陥没カルデラが生じ、現在の阿蘇カルデラができたと考えられています。

火口瀬って何?

火口瀬とは、「火口やカルデラの縁の一部が切れて、降水が外へ排出されるようになった谷」のことをいいます。つまり、阿蘇カルデラ内に降った雨は、立野火口瀬を通ってカルデラの外へ流れ出ているのです。

阿蘇カルデラには2つの火口瀬がある!

ところが、阿蘇カルデラには、2つの火口瀬があります。国道57号やJR立野駅がある台地は、外輪山を切ってできた谷の中にできていて、この谷が古い火口瀬(古火口瀬)です。もう1つの火口瀬は、現在見られる立野火口瀬で、阿蘇谷からの黒川と南郷谷からの白川が合流する戸下から白川の流れに沿って西に延びています。上流側から見て、白川の右側が中央火口丘群の溶岩、左側が先阿蘇火山岩類(阿蘇火山より古い岩石)でできた北向山です。

火口瀬はどうやってできたの?

一の宮町史によると、古火口瀬付近には、多くの活断層(最近の地質時代に繰り返し活動していることから将来も活動すると推定される断層)があり、中でも2つの断層が目立っています。1つは南西から北向山の北側を通り戸下へ続く北向山断層で、もう1つは大津町付近から東方に延びて火口瀬に入っていく断層です。この2つの断層にはさまれた部分が、東西にのびてまわりより低くなり、火口瀬になったと考えられます。

参考文献

渡辺一徳 『自然と文化阿蘇選書7 阿蘇火山の生い立ち』 一の宮町 2001
渡辺一徳・藤本雅太郎 『土地分類基本調査 5万分の1表層地質図「阿蘇山・竹田」』 熊本県 1992
小野晃司・渡辺一徳 『阿蘇火山地質図』 地質調査所 1985
『日本の地震防災活断層』 科学技術庁 2000

周辺情報

近くの施設としては、憩いの家温泉、阿蘇ファームランド、猿回し劇場、葉祥明絵本美術館、温泉センターウイナス、長野岩戸神楽殿などがあります。見どころとしては、戸下柱状節理、数鹿流ヶ滝、鮎返ノ滝、北向山原生林があります。

地図

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