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天草一号橋下の海食洞(あまくさいちごうきょうしたのかいしょくどう)宇城市

天草一号橋下の海食洞のイメージ

所在地

宇城市三角町三角浦

利用案内

  • 駐車場:一号橋下には、車4~5台ほど
  • トイレ:なし

解説

縄文時代の波でできた海食洞

天草の一号橋

天草の玄関口にある一号橋は、天草の島々を結ぶ天草五橋の一つで、宇土郡三角町と上天草市大矢野町とを結んでいます。この橋は1966年に完成したもので、正式名称は天門橋といいます。橋の長さは502.2mあり、最大支間は300mで天草五橋の中では最長です。また、その形はトラス構造になっており、幾何学模様の美しい橋になっています。この一号橋の下を毎日多くの船が行き交っています。

海食洞をみてみよう・・

一号橋を熊本方面から天草方面へ向かって渡る途中に橋の下の方を見てみると、橋の右下の方に入り組んだ海岸線が見えてきます。さらに、その海岸線の岩盤をよく見てみると、海岸線に沿って岩盤が深くえぐられたようになっているようすが分かります。これが、「海食洞」です。海食洞とは洞窟の一種で、海の水のはたらきで岩石が奥深く削り取られてできたものです。
海食洞が見られる部分は、角閃石安山岩質の凝灰角れき岩という岩石でできています。この岩石が、海の水のはたらき、つまり、波の力で削られてできたのですが、その海食洞ができている部分は現在の海面よりも2~3mも高い位置にあります。これでは波は届きそうにありません。はたして、どのようにしてこの海食洞はできたのでしょうか。

海食洞のできかた

熊本平野の周辺には、御領貝塚、阿高貝塚をはじめとして数多くの貝塚があります。これらの貝塚の貝にはカキやハマグリ、シジミなど現在河口付近から遠浅の海にすむものが見られます。また、貝塚は平野の周辺に多くあり、さらに、台地と低地の境にあたる部分にあります。これらの貝塚と海食洞の位置や熊本平野から産出する貝の化石を含む地層のボーリング資料などを組み合わせて考えると、貝塚ができたころの熊本平野には、海が広がっていたことが分かります。
つまり、海食洞が見られる一号橋周辺でも、今から約6000年前の縄文時代には現在よりも海面が5mも高い位置にあり、その時の波のはたらきで岩石が削られて海食洞ができたと考えられます。この当時の気候は暖かかったため、海水面が上昇していたようです。このことを縄文海進といいます。

近くで観察するには

一号橋たもとのドライブインからの観察が、安全でよく見えますが、橋の下に下りて近くで観察することもできます。熊本方面から来て、一号橋の手前から左に入り、道なりに下っていくと港湾用地のところに出ます。そこを右に曲がり、三角海運やコスモ石油三角油槽所の横を通って突き当りまで行きます。そこからは、海岸の岩場を歩いて行き、一号橋の下を通って行くと海食洞の所へ行くことができます。ただし、干潮の時でないと歩いていくことはできません。

参考文献

田村実 「蜆と汽水環境と貝塚」『熊本地学会誌63』 1980
田村実ほか 「海進・海退の学習指導」『熊本地学会誌67』 1981

周辺情報

三角西港、天草四郎メモリアルホールが見どころです。

地図

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