前のページに戻る

淡島神社(あわしまじんじゃ)相良村

淡島神社のイメージ1
淡島神社のイメージ2

所在地

球磨郡山江村万江

利用案内

  • 駐車場:あり
  • トイレ:あり

解説

多くの女性がお参りする神社

彼岸には多数の参拝者で賑わう淡島神社

淡島神社の本社は和歌山市の加太にあります。大己貴命、少彦名命、息長足姫尊(神宮皇后)の三神をお祭りしています。神社の由来については次のような伝説があります。「神功皇后が三韓出兵から帰る際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよというお告げがありました。その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。その島が、友ヶ島です。その島には、少彦名命と大己貴命が祭られていて、皇后は助けてくれたお礼の気持ちを込めて、持ち帰ってきた宝物を供えました。何年か経ち、神功皇后の孫である仁徳天皇が狩りのため友ヶ島を訪れた際このいきさつを聞き、島では何かと不自由であろうと、お社を対岸の加太に移され、社殿をお建てになった。」というものです。主祭神の少彦名命は、医薬の神であり、その神徳が強調され、特に婦人病に効果ありとされ、多くの女性の信仰を集めていました。
近世に入り淡島願人と呼ばれる宗教者たちが神をかたどった人形を入れた小祠を携え、祭文を唱えながら全国を門付けを行い、病気の女性から衣服を預かり淡島神社への代参請け負いました。この活動により淡島信仰は全国に広がり、全国各地に淡島神社が勧請されました。 山江の淡島神社は山江村大字万江字淡島にあります。淡島はもとは小森と呼ばれていましたが、淡島神社が有名になったので、淡島と呼ばれるようになったそうです。元々は、個人の家で祀られていたもので、その家の敷地内に祠があったそうです。しかし、いつまでもそのままでは神体を汚すのではないかと恐れた村の有志の人たちが、当時の神祗省に願い出て、明治11(1878)年10月16日邸内と区別し、神祠及び神床を建立し淡島神社と称することになったそうです。
今では春、秋の彼岸(春分の日、秋分の日)の前後1週間には球磨郡市からはもとより、遠く県外からも老若男女が列をなして参拝に訪れます。お世話になった古い人形や、処分に困った人形を神主により、宿っている魂を抜いて祓い清め、その後「お焚上げ(火をいれる)神事」が行われます。
昭和15年に奉献されたミニ鳥居は大変有名で、女性の腰から下の病に効能があるため、女性の参拝者が多く、特に小さな鳥居の中をくぐれば、子宝に恵まれること必至といわれています。また梅干し漬が「安産の梅」としてお土産に人気を博しています。
神社のとなりには全国でも有数のイチイガシの巨木があります(樹高30m、幹周り8m、樹齢200年以上)。「腰かけ穴」があり、願をかける人も多く見受けます。また神社のすぐ下には、八代郡坂本村との境に発する全長24kmの1級河川万江川(まえがわ)が流れています。万江川には、鮎、ヤマメ、ウグイ等が生息しています。
また、淡島神社一帯は、源氏ボタルの生息地でもあり、5~6月頃にはホタルの乱舞が見られます。

参考文献

『山江村郷土史』 山田・尾崎・城内・屋形尋常小学校編 山江村教育委員会復刻 1993(復刻)

地図

ページの先頭へ戻る