鏡池と鮒とり神事(かがみいけとふなとりしんじ)八代市
所在地
八代市鏡町
利用案内
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
解説
地名の由来となる名池とどろんこ祭り
鏡町の中心部(鏡四ツ角)からJR九州有佐駅方向へ300mほど進むと「印鑰(いんにゃく)神社」という神社があります。神社の由来記では建久9(1196)年、相良長頼が弟為頼に命じて造営したもので、御祭神は古代の豪族、蘇我氏の祖先蘇我石川宿弥(そがのいしかわのすくね)とされています。難しい名前の神社ですが「印」は印鑑、「鑰」は鍵という意味です。全国各地にこの名前の付く神社がありますが、いずれも古代に国府や郡の倉庫などの役所があったところですので、鏡の印鑰神社も古代の郡の役所や倉庫と関連があったのかもしれません。
和歌にもうたわれた鏡池
さて、この神社と鏡小学校の間の細い道を少し進むと右手に小さな池が見えてきます。いまでこそぽつんと小さな池がひとつあるにすぎませんが、太古の昔にはいくつもの池(湧水池)や葦(あし)原が点在する一面の湿地帯であったともいわれています。この池が「鏡」の地名の由来となった鏡池です。水が透き通って魚もひそむところがない、鏡のように物の姿をはっきりと映す池ということから鏡池と呼んだといわれています。また、日本の古い言葉で、「カガ」は芝草地(荒れ地)を示し「ミ」は水または水のわき出るところ(泉)を表すと言われ、それで鏡池という名前が付けられたとも言われます。
鏡池の美しさは昔の人の心をつかんでいた様子です。中世の『求麻(くま)外史』にも、当時この地を治めていた相良義陽(さがらよしひ)が前関白近衛前久(このえさきひさ)をこの地に招いたとき、前久が「庭の面(おも)池の玉水詠(ながむ)れば類(たぐい)なかりし萩の下露」と詠んだのに対し、義陽が「水の上に立つ朝霧は曇れども磨け鏡の池の秋風」とうたい応えたとあります。この歌によって「鏡が池」は和歌の歌枕として知られるようになりました。
どろんこのまつりふなとり神事
ふだんは訪れる人も少ない鏡が池ですが、一年に一度人々の歓声でにぎわいます。毎年4月7日に行われる「鮒取り神事」です。その昔、印鑰神社の祭神である蘇我石川宿祢がこの地を訪れた時に、若者たちが鏡ヶ池に氷を割って裸で飛び込み、鮒(フナ)を手でつかまえて献上したという伝承にちなんで行われる祭りだそうです。この日は子供から大人まで多くの男女が、水を抜いて水が少なくなった池に飛び込み、どろんこになって鮒をおいかけます。池の周りで見まもる観客にも泥がかかり大歓声がわきおこります。泥がかかっても誰も怒りません。「泥がかかると幸せになる」という言い伝えがあるからです。ちなみにこのお祭りは、田植えの時期を前にした池の大掃除をかねて行われています。
参考文献
永松 豊蔵編著『鏡町史 上巻』 鏡町 1972
江上敏勝 『ふるさと百話』 八代青年会議所 1983