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妙見さんの氷室祭り(みょうけんさんのひむろまつり)八代市

妙見さんの氷室祭りのイメージ

所在地

八代市宮地

利用案内

  • 駐車場:あり
  • トイレ:あり

解説

妙見さんの氷室祭り

氷の朔日(ついたち)

氷の朔日っていつのことか分かりますか。氷とつくから冬かと思えば、夏の6月1日のことを、西日本を中心に「氷り朔日」と呼んできました。この日はどんなことをするのでしょうか。
古くは、宮中でこの日を「氷の節会(せちえ)」と呼び、氷室に保存した氷を食べる行事があったそうです。江戸時代には、宮中や将軍家が、大名などから献上された氷や氷餅を食べる、氷の節句・氷室の節句という行事が行われたそうです。
一方、民間では正月についた餅をよく干して保存し、この日に食べる風習があります。正月についたもちを、さいの目に切り水に入れておくと、その水が凍り、もちも氷づめになった状態になります。このようなもちを凍みもち(しみもち)といい、これをよく乾燥して保存しておき、6月1日にアラレにして食べる風習が、八代から芦北にかけてもありました。

氷室祭りのはじまりは、いつごろ?

さて、八代の妙見さん(八代神社)では氷朔日、6月1日に氷室祭りというお祭りが行われます。
この祭りの起源は、350年以上も前にさかのぼると言われています。1632(寛永9)年に細川忠利(ほそかわただとし)が、肥後の藩主(はんしゅ)として熊本城の城主になった時、その父親である細川三斎が、八代城の城主として八代に来られました。その三斎が妙見宮に参拝した時に、無病息災(むびょうそくさい)を祈って、八代市東町の三室山につもった雪を、献上したのが始まりと言い伝えられています。
実際のところは、「殿様に深い山の雪を献上しようとしたけど、雪は手に入らず、その雪にかわるものとして考え出されたのが、雪もちで、それを作って殿様にさし上げたところ、殿様はさっそく妙見宮にその雪もちを献上されたということが考えらる。」とも考えられています。(八代史談会編集の「夜豆志呂118号」)
その古事に習い、人々が厄入り・厄晴れ・還暦等の人生の節目の年にお参りして、お祓いを受け、無病息災や家内安全のご利益を授かるようになりました。今では、77歳の喜寿(きじゅ)や88歳の米寿(べいじゅ)の時にもお参りに来られる人が増えたと宮司さんは言われていました。また、氷室祭りといういことで、九州からいくつかの製氷会社(氷を作る会社)が、1年間の安全祈願などに来られることもあるそうです。その時は、本物の氷をお供えされるそうです。

氷室祭りはいつあるの?

お参りは6月1日の午前0時から始まります。最近は北海道から2月ごろ取りよせた雪を大型冷凍庫に入れておき、5月31日の夕方からその半分を三方という台に乗せて、神にお供えし、日がかわってはじめの雪がとけるころの6月1日午前1時ごろに残りの半分をお供えします。お祭りは夜通し続きます。お祭りといっても、神輿(みこし)をかついだりするのではなく、参拝者は次から次にきて、無病息災などをいのり、お祓いを受け、帰りに名物の雪もちを食べたり、買って帰ったりして、1年の無事をいのるだけです。一番参拝客が多いのは、5月31日の夜の11時ごろから6月1日の午前1時の2時間くらいだそうです。しかし、お祓いをする宮司さん、それを支える宮地やその周辺の町(8つのグループに分かれた宮地町・妙見町・西宮町など約13の町内)の宮総代(妙見宮のお祭りなどのお世話をする町の代表)の人などは一晩中起きて仕事をします。宮総代の人たちは、一般の参拝客のお祓いをしたり、お祓いを受ける人の受付をしたり、お守りを渡したりして、1時間半交代で一晩中仕事をします。雪もちを売る人たちも、この日だけは一晩中おきて、仕事をします。

「雪もち」ってどんなもち?

氷室祭りの時に作られて参拝者に売られるもちで、このもちを食べると、1年間健康に過ごせると言われています。雪もちは、米ともち米の粉(こな)をおおよそ半分ずつ混ぜ合わせて、その中にあんを入れ、セイロで蒸します。普通のもちと違うのは、搗かずに粉から作ったものを蒸すということです。これも店によって少し違いがあり、もち米の割合が多いとやわらかくなり、少ないと固めになるそうです。妙見宮の境内や参道では、10軒ほどの雪もちの店がならびます。

参考文献

江上 敏勝 「八代神社の氷室祭と雪餅」『夜豆志呂』118号 八代史談会編集
『氷室祭由緒』 八代妙見宮発行
『今様 祭儀探訪』 熊本日日新聞 1997

地図

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