浅井神社(あさいじんじゃ)八代市
所在地
八代市北の丸町
利用案内
- 駐車場:あり
- トイレ:あり
解説
妙見神も寄港した浅井神社
八代城の北側、代陽小学校の校庭の南隅に大枝を笠のように広げるクスの巨木(八王社の樟八代市指定天然記念物根回り24.5m幹の回り11.2m)があります。この根もとに、浅井神社があります。
妙見神は白鳳9(680)年、中国の明州(今の寧波)から目深、手長、早足という3人の人間に姿を変えて、亀蛇(きだ)に乗って渡来したとか、百済の聖琳太子となって渡来したという伝説があります。妙見神は竹崎の津から上陸し妙見宮に着かれたと言いますが、八代に来て最初に着いたのが植柳の津(港)、つづいて浅井の津に寄港したといわれています。今、代陽小学校から海はまったく見えませんが、昔は入り江の港になっていました。そこに、底まで見える清らかな湧き水があったので、その地を「浅井」と呼ぶようになったといいます。
さて、浅井の津に着いた妙見神一行はこの浅井で沐浴し身を清めたと伝えられています。そして、妙見宮が創建されるとき、ここに水神である八竜大王を祭る八王社が設けられたと言います。浅井は今は涸れてしまっていますが、以前は妙見祭に奉仕する人や馬はすべて祭りの前にこの泉で身を清めなければならなかったと言います。
平野の発達に伴い、浅井の津は港としての機能をやがて失います。江戸時代には加藤正方(かとうまさかた)が八代城を今の位置に造りますが、八王社の周辺はその出丸となります。本丸からは北東の鬼門(きもん)にあたり鎮護(ちんご)神として社殿を再興されました。加藤家が改易(かいえき)され、松井氏が城代として八代を治めるようになりますが、代々守護神として、そして農業の神様としてまつられました。享和3(1803)年には神殿・拝殿(しんでん・はいでん)が造営されました。江戸中期以降は妙見宮の末社となり、神馬(しんめ)や獅子舞(ししまい)が奉納されるようになりました。
今でも11月15日の七五三の祝いの日には妙見さんの神馬や獅子舞を見ることができます。
参考文献
江上敏勝 『ふるさと百話 総集編』八代青年会議所 1983
周辺情報
近くには八代城跡、臥竜梅で有名な松井神社、松浜軒、八代市博物館未来の森ミュージアムなどがあります。