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砥川宮の獅子舞(とがわぐうのししまい)益城町

砥川宮の獅子舞のイメージ

所在地

上益城郡益城町砥川

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

砥川宮の獅子舞

上益城郡益城町砥川(とがわ)にある砥川神社は正暦年間(990~994)に創建されたと伝えられる神社です。この神社の創建にまつわる話として「肥後国誌」には次のような話が伝えられています。
当時の砥川の領主西園寺左金吾の夢の中に、阿蘇大明神の使いと称する老人が現れ、家の北側少し離れたところにナギの林がある、阿蘇大明神がここに住みたいと思っていらっしゃるから、そこに阿蘇大明神を勧請するようにと告げました。この話が本当であるという証拠に、この家の庭に柿の木を生やしておこうと言ったそうです。金吾は夢から覚めて庭に出てみると一夜にして葉を茂らせた立派な柿の木が生えていたそうです。そこで、金吾が夢のお告げ通り阿蘇大明神をはじめ阿蘇神社に祀られる十二神を勧請して建てたのがこの神社であるという話です。
さてこの砥川神社では、毎年10月17日に秋の大祭が行われます。砥川地区の人々が古くから守り続けてきたお祭りで、五穀豊穣を感謝して獅子舞が奉納されます。獅子舞は、今から150~180年ほど前に嘉島町の六嘉宮の獅子舞を導入したものだそうです。明治時代に一時獅子舞を中止して、踊りを奉納したことがあるそうですが、その年、疫病が流行したため翌年から復活し現在に至っています。獅子舞の奉納は、昼の部と夜の部があり、翌日には別れ獅子も行われます。当日は、周辺にいくつかの露店も設置され、神社周辺で仕掛け花火も催されます。
この獅子舞は、雌雄二匹の獅子がお宮の門を入り神殿に参り、宮司から御幣をいただきお宮の周りを一周する「堂門入り」から始まります。夜の部では、鳥居、楼門、拝殿の三ヶ所に設置された花火を獅子が噛みながら神殿に進みます。その後、境内で雄の獅子が「出羽の舞」を舞い、次に釣り子と呼ばれる稚児と一緒に雄、雌交互に舞が続きます。お囃子の笛と太鼓に合わせて、男の子は雄の獅子と獅子退治の様子を舞い、女の子は、雌の獅子と玉を取り合う様子を舞います。
特に呼び物となっているのは最後の「もやい獅子」です。とうとうと滝の水が落ちるように吹き出す花火の火の粉の下で、雌雄二匹の獅子が舞い狂い、かたく抱き合ったまま立ちつくす姿は言葉では表せないほどの美しさがあります。また、秋の夜空を彩る仕掛花火や打ち上げ花火はとても壮観なものです。
砥川神社の拝殿には、西南戦争のときの砥川合戦の絵馬が、歴史の貴重な記録として残されています。ぜひ一度お尋ねください。

参考文献

益城町史編さん委員会  『益城町史 通史編』 益城町 1990

地図

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