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南関手延べそうめん(なんかんてのべそうめん)南関町

南関手延べそうめんのイメージ1
南関手延べそうめんのイメージ2

所在地

玉名郡南関町関町

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

白秋も愛した手作りそうめん

北原白秋と南関手延べそうめん

『手打ち素麺戸ごと掛けなめ日ざかりや関(せき)のおもてはしずけかりにし』北原白秋
(関町中心部バスターミナルに南関の風物詩素麺つくりを歌った白秋の歌碑)
南関町にある母親の実家で生まれた詩人・歌人の北原白秋は、その著作の中で「私の第二の故郷は肥後の南関である」と記しています。この南関町の名物、南関そうめん。白秋には他にも南関そうめんを題材とした作品があります。白秋も愛した南関そうめんについてご紹介します。

南関手延べそうめんの歴史

南関そうめんは江戸時代に始められたと言います。宝暦年間(1751~1764年)に旅の僧によって伝えられたとか、小豆島のそうめん職人によって伝えたれたという話が伝えられています。南関そうめんは品質の高さで知られており、江戸時代には藩から幕府への献上品に用いられました。上質の小麦、食用油がこの地で産出され、気候風土も適していたため、山間部の農家の副業として発達したものでしょう。南関そうめん作りの最盛期、明治中期には200を超える製麺所があり、すだれのように長く延ばしたそうめん干しの光景が数多く見られたそうです。現在でも、町内で9軒の製麺所が、昔と変わらぬ伝統の味と製法を守り続けています。現在製造されているものは、白髪そうめんと、曲げそうめんの2種類があります。伝えられた当時そのままの製法で受け継がれている白髪そうめんは、両切りの極細で、半分ほどが節となってしまう作り方でしたが、江戸後期にそうめんの束ね枠が考案されてからは、現在のように曲げそうめんが主流となっています。
前日につくられたそうめんの生地は、一晩ねかされ小指大のひも状にまとめられます。細長い生地をさらに細くもみのばしながら2本のシノダケにまきつけていきます。巻き終わった生地はムロでやすませ様子を見ながら少しずつ引き伸ばしていきます。およそ30cmの長さだったそうめんの生地は、2~3回ひかれ最終的には8mほどまでのばされます。小麦粉でできた生地がやがて白い糸のようなそうめんに変わっていきます。
南関そうめんは1年を通してつくられますが、寒さの厳しい時期につくられたものがこしが強くもっともおいしいといわれています。

参考文献

『南関町史 地誌』 南関町史編集委員会 2002

周辺情報

近くには、「大津山の関」があった大津山公園、白秋生家、西南戦争時の官軍墓地などがあります。

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