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天子宮の火祭り(てんしぐうのひまつり)玉名市

天子宮の火祭りのイメージ

所在地

玉名市天水町小天

利用案内

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  • トイレ:

解説

天を焦がす勇壮な火祭り

小天神社の火祭りは、県下で一、二を争う勇壮な祭りとして知られています。祭りの始まりを伝える話にこんな話があります。和銅6(713)年。玉名地方で疫病が流行し、大変多くの人が死にました。国司であった道君首名(みちのきみおびとな)は柊と椎の枝を立て、おのおの少彦名神と大国主命のカムロギとして七日七夜、山海の珍味を供えて、悪疫退散を祈願しましたが効果はありませんでした。さらに道君首名は七日七夜火を焚き続け、3度火の中を渡りましたが火傷を負うことはありませんでした。そうして悪疫退散の願いがかなったといいます。
道君首名の威徳をしのび、毎年10月第2土曜日の夕方から火祭りが行われています。祭りは、夕方、稚児や法被姿の男たちによる節頭行列で始まります。節頭行列に続いて拝殿での神楽奉納が行われ、午後11時過ぎに境内の175本の松丸太を組んだやぐらに点火され、火の手が夜空を焦がすと火祭りの興奮が高まっていきます。 突然、ラッパの合図が鳴り響くと、若者たちが拝殿になだれ込んできます。一方、これを止めようとする者との間で押し合いが展開されます。この攻防戦は、やぐらの火が下火になった前でもう一度繰り広げられます。今度は締め込み一つの勇ましい姿での「火押し」です。この後、燃え残ったオキ火が四方に広げられると、いよいよクライマックスの「火渡り神事」です。烏帽子に狩りぎぬ姿、御幣(ごへい)を手にした少年二人が登場、真っ赤なオキ火の上を素足で三度ずつ一気に駆け抜けていきます。火の粉を蹴散らしての火渡りに、詰めかけた見物人の間から大きなどよめきがわき起こります。三度火中を渡たりますが、火傷一つ残らないといいます。
江戸時代に書かれた本には薪の火が鎮まった頃、火の上を神楽を舞ながら通った後を参詣の人々が火渡りをしたと記されています。このとき火傷をしても、神楽堂に掛けられた生の鯛の肉を切って火傷したところをこすればたちまち傷が癒えるという話が紹介されています。

参考文献

中川斎 『小天郷土史』 1953
中川斎誠 『天水郷土史』 1961
『もっとしりたい天水町』 天水町教育委員会
井出公夫 『ふるさとの心』 2000
後藤是山編 『肥後国誌』 青潮社 1984

周辺情報

近くには、小天温泉漱石館、尾田の丸池などがあります。

地図

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