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来民うちわ(くたみうちわ)山鹿市

来民うちわのイメージ1
来民うちわのイメージ2

所在地

山鹿市鹿本町来民

利用案内

  • 駐車場:
  • トイレ:

解説

400年の歴史と伝統をもつ来民の「しぶうちわ」

「来民うちわ」の盛衰

来民(くたみ)は、昔から「しぶうちわ」と呼ばれるうちわの産地として有名です。「しぶうちわ」は、柿のしぶを引いた(しぶを塗った)うちわで、来民の団扇は実用品や宣伝用品として各地で愛用されその名を高めました。
『鹿本町史』によれば起源は、慶長5(1600)年頃来民の地を訪れた四国の丸亀(まるがめ)の旅僧(りょそう)が、一宿のお礼に、うちわの製法を伝授したのが最初であると伝えられています。また、寛永16(1638)年には、藩主細川忠利(ほそかわただとし)が原材料に恵まれている来民での団扇作りを奨励したといわれています。
その後、岩佐正武(来民町長、明治26(1893)年6月2日就任)が行ったうちわ産業の振興策により、企業化され、町の基幹産業に育てられました。先進地の視察や技術者の派遣を行い、明治33年には来民工業徒弟学校を設立しました。さらに、大正3年には来民町立模範職工養成所が設置されました。これらの積極的な指導援助により今まで趣味作り程度のものが、一躍事業として軌道にのり、京都、丸亀とともに日本三大産地の一つになりました。しかし、時代の変化により、扇風機、クーラーなどの家庭電化製品が進出し、うちわ産業も年々衰退し、ついに、昭和40(1965)年代には、一時期、生産を中止してしまいました。

伝統工芸としての「来民うちわ」

現在ではわずかに2~3軒だけが伝統のうちわ作りを続けています。しかし、手作りのよさが見直され、素朴な「しぶうちわ」の人気も盛り返しつつあり、熊本県伝統工芸品にも認定され、全国に売り出されています。現在は実用品というより、かざりや贈りものなどとしての人気が高いようで、うちわ作りの実演なども好評です。

「来民うちわ」の作り方

うちわの製造工程「しぶうちわ」は、柿渋を塗ることにより和紙をコーティングする役目と防虫効果があり、丈夫で長持ちします。また、年とともに色合いが深みをおびていくのも魅力です。そのうちわの製造工程は、大きく分けて3つに分けられます。
一つは、うちわの骨の部分です。材料の真竹を用い、まず、手荒竹取り→節落とし→中割り→小割り、もみおろし→穴あけ→柄削り→柄塗り→鎌入れ→編み、編み付け
次は、紙を貼る部分。両面張り→干す→耳落とし→型切り→縁取り→鼻紙、耳紙張り
最後の仕上げは、地糊引→仕上げ地糊引→渋引、ニス引とたくさんの行程を経てつくられます。特に、小割りからもみおろしの作業は、熟練を要する巧(たくみ)の技です。

参考文献

『わたしたちのふるさと鹿本町』 鹿本町教育委員会 2001
平川厚編 『鹿本町史』 鹿本町役場 1976

周辺情報

近くには、熊本県最初の総理大臣清浦奎吾の記念館、内田川には鎌倉時代とされる御宇田井手の取水口である津袋堰、北の蒲生台地上には津袋大塚古墳や祇園山古墳、江戸時代の湯の口溜め池など史跡が多い。また、一本松公園や水辺プラザは家族で楽しめる。

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