草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ)高森町
所在地
阿蘇郡高森町草部
利用案内
- 駐車場:あり
- トイレ:あり
解説
健磐龍命が阿蘇都姫と結ばれたお宮
阿蘇から高千穂へ抜ける325号、草部付近に来ると神社への案内があるので、そこから脇道へ入り案内に従って走ると社前に着きます。社名の草部は「クサカベ」と読みます。御祭神は神武天皇の長男、彦八井耳命(ヒコヤイミミノミコト。阿蘇では国龍神、草部吉見神とも呼びます)です。
このお宮にまつわり、次のような神話が地元で語り継がれています。
彦八井耳命が高千穂峰からこの地にいたり、しばらく川走りの窟に住まわれたが、宮居を定めようと占ったところ、吉の池が良いということになりました。この池には人々を困らせる大蛇が棲んでいたので、命はこの大蛇を退治し、「こここそ吉い宮を立てる場所だ。」とおっしゃり、池を埋めて一夜で屋根をはじめ壁も草で葺いて宮殿を建てました。館が草の壁だったのでいつしかこの地が草部と呼ばれるようなりました。また、お宮から数キロ先にある地引原や灰塚の地名の由来として、命に斬りつけられ大蛇が血を流しながら逃げていったところを血引原(現地引原)、最後に焼かれたところを灰原と呼ぶようなったという話も伝えられています。
神話はさらに続きます。彦八井耳命の弟、神八井耳命の子供、健磐龍命(タケイワタツノミコト)が天皇から阿蘇を治めるよう命じられ阿蘇に向かう途中に彦八井耳命の館に立ち寄り逗留します。そこで彦八井耳命の娘阿蘇都姫を娶ります。この後、健磐龍命が妻と協力して阿蘇を開拓し農業を広めたという神話は有名です。彦八井耳命は健磐龍命の岳父に当たるわけで、健磐龍命を祀る阿蘇神社でも三の宮として彦八井耳命が祀られています。
また、彦八井耳命には“日向から火の玉(乾珠)と水の玉(満珠)という二つの石製の玉をもって来た”という話もあります。水の玉にはいつでも雨を降らせる力が、火の玉にはいつでも日照りをもたらす力があったと言います。命はこの玉により自在に天気を操り、この地に農業を広めたと言われています。
さて、お宮は道から階段を下りたところに立てられています。社殿は、弘治三(1556)年に甲斐左近将親成によって造営され、後に傷みが激しくなったので明和九(1772)年に里人らによって現在の社殿に補修されたことが棟礼からわかります。近年では昭和51年に大改修が行われています。流れ造りという形式で彫刻など技巧を凝らした造りとなってます。境内にはこんこんと清水の湧出する御塩井という湧き水があります。ここの湧出量は多く一度も涸れることがなかったといいます。火の玉、水の玉の伝説でも分かるよう彦八井耳命は水を自在に操る力を持つ神様であったようで、この泉が祭祀の本体であるとも考えられます。吉見という名称も吉い水という意味だとも言われます。宮の形式がいわゆる「下り宮」になったのもこのためではないかと言われています。
参考文献
高森町史編さん委員会 『高森町史』 高森町 1979