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的石(まといし)阿蘇市

的石のイメージ

所在地

阿蘇市的石

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

阿蘇の神話~鬼八伝説と的石~

的石(まといし)地区は、阿蘇市の西部、北西外輪山カルデラ内の山麓にあり、阿蘇神話で有名な健磐龍命(たけいわたつのみこと)が往生(おうじょう)岳の上からこの石を的にして弓を射たという的石があることにちなんで付けられた地名です。
古くは豊後街道の要地で、藩主参勤交代の休憩のための御茶屋が置かれにぎわいを見せていたところです。神話の舞台となっている往生岳から見ると西北西に10キロメートルのところに位置します。

鬼八伝説とは

阿蘇神話には鬼八(きはち)という人物が登場します。「史料阿蘇第1集」に載せられた神話を参照すると、「健磐龍命(たていわたつのみこと)が往生岳(どんべん岳)の頂上から的石に向かって弓を射ら、鬼八は命の射た矢を拾っては、命にお返しをしていた。50回も60回も的石の付近に落ちた矢を拾っては往生岳まで行ったり来たりすることは、健脚早足の鬼八でも容易ではなかった。99回までは取りに行ったが、余りの疲れに鬼八は百回目の矢を足の爪先で蹴返した。命はその無礼をお怒りになり、鬼八をお斬りになろうとされた。鬼八は逃げて根子岳の奥処(おくど)から穿戸(うど)、矢部と走って、そこで捕えられると屁を八つひって(矢部の地名の起源ともいわれている)命の隙をみてまた逃げ、高千穂三田井の「窓の瀬」で命と戦って敗れ、捕えられた。命は、鬼八の首を斬ったがすぐもとのとおりになる。手足を斬ってもまたもとのとおりになる。困られた命はバラバラにお斬りになって、一つ一つを別々のところに埋められた。鬼八の墓は高千穂のほかにも鬼塚といわれて、方々にある。鬼八の首は斬られて天に舞い上り、怨霊となって夏の終わりの頃、霜を降らせて人々を困らせた。命は鬼八の霊に祈って天から下りてきてくれ、阿蘇の霜宮として末永く祀ると頼まれた。鬼八の霊は天から下りてきたので、阿蘇谷の真中に霜宮として祀られることとなった。」
鬼八伝説は、高千穂地方にも伝わっており足の速さを物語るように「徒健」(はしりたける)とも呼ばれています。鬼八には、阿佐霜姫という美しい妻がいましたが横恋慕した御毛沼命(みけぬのみこと)に寝取られたうえ、四十四人の手勢とともに襲われ体をズタズタにされてしまいます。 しかし、高千穂神宮の祭神である御毛沼命が他人の妻を奪ったのではいかにも具合が悪いので、稲の神である阿佐霜姫が霜の神の鬼八と一緒にいたら稲が実らないとして、民のため二人の仲を裂いたと高千穂地方の説話ではなっています。この鬼八の足跡の背後には、大和朝廷に征服された土着民の反抗と悲哀があるのではないかともいわれています。
的石は、この伝説の中に出てくる健磐龍命が弓の的としていた岩で、周囲20m、高さ10mを超える巨岩です。この岩を御神体として、「的石さんの祭り」が行われています。祭りでは、毎年11月23日、阿蘇神社から神官が来て巨大な的石の前で神事が行われます。このとき、的石に新しい注連縄(しめなわ)が巻かれます。

参考文献

『史料阿蘇 第一集』 阿蘇町教育委員会 1978
『角川日本地名大辞典 43熊本』角川書店 1987

周辺情報

二重峠から内牧、そして一の宮町宮地、坂梨にかけてはいたるところに史跡や自然観察ポイントが散在しており、それらを見ながらトレッキングするのも楽しい。的石の近くには参勤交代の際、藩主が休憩した的石御茶屋跡や隼鷹天満宮、それに参勤交代の際に通った二重峠の石畳などがある。

地図

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