赤星陸治と赤星公園(あかほしりくじとあかほしこうえん)八代市
所在地
八代市鏡町宝出76−1
利用案内
- 駐車場:約30台
- トイレ:あり
解説
学習や交流の場として復興した赤星公園
赤星公園は鏡町の中央に位置し、そのなかには「六角堂」と「水竹居の館」があり、地域住民の心のよりどころとして広く親しまれています。
赤星公園は、六角堂の建立者である赤星陸治(りくじ)が少年期を過ごした邸宅があった場所です。陸治の子孫から寄付され、学習の場、交流の場「水竹居の館」として復興され、各団体の会議や研修の場として利用されています。
六角堂の建立者赤星陸治
赤星陸治は、明治7年(1874年)、鏡町の旧家の次男として生まれ、幼少にして赤星家に養子として迎えられました。大学卒業後、東京丸の内にある会所の社長だったころ、たまたま句誌『ホトトギス』の発行所が丸の内であったことから高浜虚子との親交が生まれ、自らも俳号「水竹居」と称し、数多くの作品を残しました。「水竹居の館」はその名に由来しています。
陸治は俳句のほかにも、剣道、弓道、尺八など、いずれも一流の域に達した、いわば才能と努力の人であったといわれています。昭和17年(1942年)3月28日、陸治は座禅を組んだまま静かにこの世を去り、享年69歳でした。
町指定文化財六角堂
六角堂は、昭和8年(1933年)に夫人が亡くなられたときに陸治が建立した観音堂です。陸治の養母は熱心な法華宗の信者であり、そのことが陸治夫妻にも大きな影響を与え、六角堂建立の要因になったといわれています。
六角堂の周囲には夫人が好んだ牡丹が植えられていたことから牡丹観音ともよばれています。六角堂の土台は陸治自らが石にきざみこんだ観音経が囲み、その内部には、千手観世音菩薩像や五百体の観音像、また、陸治自らが刺繍した観音経や三十六観音などが収められています。
六角堂の隅には二つの句碑があり、一つは高浜虚子の句で、もう一つは水竹居(陸治)の句です。
牡丹観音参るえにしのなき旅に(高浜虚子)
風鈴の鳴らねば淋しなれば憂し(水竹居)
虚子の句は、かねてから陸治と六角堂への参拝を約束していた虚子でしたが、陸治の死後に来熊しながらも、高齢のため六角堂までは足を運ぶことができなかったときに詠まれた句です。
陸治を偲ぶ水竹居資料館
水竹居の館六角堂と水竹居の館のあいだに、水竹居資料館があります。陸治が交流のあった正岡子規や高浜虚子の書簡や原稿、また陸治自らの遺品、作品などの資料が陳列され、陸治の各方面で優れた才能をうかがい知ることができます。
周辺情報
鏡町には、鹿子木量平・謙之助父子の墓、加藤神社、大鞘樋門、だいばどんの墓など、干拓の歴史を考えるうえで貴重な文化資源が残っています。