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円通寺(えんつうじ)菊池市

円通寺のイメージ

所在地

菊池市旭志岩本

利用案内

  • 駐車場:円通寺史跡公園利用
  • トイレ:円通寺史跡公園利用

解説

円通寺の由緒

円通寺は、延久年間(1069~1074年)に菊池氏初代の菊地則隆による創建と伝えられています。寛文7年(1667年)に著された「円通寺中興記并縁起」では、円通寺の創建について次のように書かれています。
天長4年(827年)、淳和天皇が霊夢によって京都に大宝山円通寺を建立、正暦3年(992年)に一条天皇が愛宕郡に移しました。そして、延久2年(1070年)に菊池則隆が同寺を参詣したところ、その荒廃に驚き、肥後国に移すことを朝廷に願い出ました。
朝廷の許しを得た則隆は、本尊と僧侶をともない肥後国におもむきました。翌年、則隆の子・経隆が中心となって菊池郡岩本村に建立し、京都円通寺にならい十二坊を築きました。寺領として岩本荘が寄進され、菊池氏代々の信仰を得ました。
江戸時代に編纂された「肥後国誌」は、延久年中に菊池則隆が同寺を創建したと記し、開山については不明としていますが、恵顯法印による開山との説を記載しています。
菊池氏の保護により栄えた円通寺でしたが、菊池氏が衰退し、戦乱が長引くにつれて荒廃し、わずかに観音堂が残るのみとなりました。
江戸時代になり、寛文7年(1667年)に竜田山泰勝寺(臨済宗)二世の春山座元が再興し、泰勝寺の末寺としました。

円通寺の石門

さて、春山座元によって再興された円通寺でしたが、再び荒廃します。再興から約170年たった天保年間(1830~1844年)、自忍和尚が寺内を修復し、釈尊文殊菩薩・十六第阿羅漢像を彫るなどして同寺を復興しました。そのときに築かれたのが、熊本県重要文化財に指定されている石門です。幅5.4m、高さ3.9mのこの石門には、寄せ棟造りの屋根が付いています。また輪石をアーチ式に組んだ上に壁石が積まれた姿は、当時さかんに領内で架けられた石橋とよく似ています。

参考文献

旭志村史編纂委員会 編『旭志村史』旭志村、1993年

周辺情報

近くには、県指定文化財の藤尾史跡墓群(弥生時代後期)、同天然記念物の杉井川の杉があります。

地図

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