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木山弾正の墓(きやまだんじょうのはか)天草市

木山弾正の墓のイメージ

所在地

天草市本渡町本戸馬場(天草市城山公園内)

利用案内

  • 駐車場:天草キリシタン館利用
  • トイレ:天草キリシタン館利用

解説

木山弾正

木山弾正(きやま だんじょう)は、もと肥後国益城の城主でしたが島津氏に攻められて落城し、親戚にあたる天草種元の客将として天正13年(1585年)に本戸城に迎えられました。
天正17年(1589年)、宇土城整備への協力を断ったため、「天草五人衆」の一人、志岐麟泉(しき りんせん)が小西行長・加藤清正らによって攻められると、弾正は500の兵を率いて志岐城へ向かいました。仏木坂に清正を迎えて一騎打ちを挑んだ木山弾正でしたが、あえなく清正に討たれてしまいました。弾正の墓は本戸城一の丸跡の城山公園内にあります。

兜梅伝説

志岐城落城後、天草種元の本戸城に攻め込んだ清正らに対し、城に立てこもった天草勢は女性や子どもまで武器をとって抵抗しましたが、小西・加藤軍に完全に包囲されていました。
そのとき、本戸城から死んだはずの木山弾正の鎧兜を身につけた武者が清正目がけて突進してきました。たじろいだ清正が退こうとするところに追いすがり、太刀を振りおろそうとした瞬間、梅の枝に兜が引っかかって取れてしまいました。驚いたことに中からは長い黒髪が現われました。武者は弾正の妻お京だったのです。力尽き雑兵の手で打ち倒されたお京は、「憎き梅の枝かな。花は咲けども実はなるな」と恨みを込めて言い残し、息絶えました。
それ以来、この梅の木は「兜梅(かぶとうめ)」とよばれ、毎年花は咲くが実はならないといわれています。兜梅は現在、天草市浜崎町の延慶寺にあります。縦横に地を走る枝がまるで龍のようであるので臥龍梅とも称され、熊本県指定天然記念物となっています。
本戸城が囲まれて5日後、天草種元をはじめ1,300名の天草勢は倒され落城しました。

参考文献

本渡市教育委員会 編『天草の歴史 第2版』本渡市教育委員会、1978年

周辺情報

近くの見どころ 天草キリシタン館、明徳時、延慶寺の兜梅

地図

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