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知事塔(ちじとう)阿蘇市

知事塔のイメージ

所在地

阿蘇市波野中江

利用案内

  • 駐車場:荻岳展望所利用
  • トイレ:荻岳展望所利用

解説

明治2年(1869年)に版籍奉還が行われ、2代目の知藩事となった細川護久は、同3年(1870年)7月に「村々小前共江」と題する布達文を配布し、従来の年貢の大部分を免除しました。
こうした税の軽減に対し、人びとが感謝の気持ちを表すために知事塔を建て、阿蘇郡内や大分県の旧熊本藩領に残されています。特に阿蘇市波野には、荻岳頂上をはじめ、楢木野、赤仁田、小地野、笹倉の5か所に残っています。荻岳頂上のものは、前面に布達文が刻まれ、裏面にこの碑を建立した趣旨や、甲斐有雄が詠んだ和歌が刻まれています。
また、この減税が実現したことは近隣にも影響を与え、熊本藩並みの減税をねらって日田や豊後などで農民一揆が起きています。
荻岳頂上の知事塔は、風化が進み、文字が読みにくくなっていますが、『波野村史』に掲載された文章は以下のとおりです。

(前面)

今度我等知藩事の重任を蒙候ニ付而者朝廷之御趣意を奉し正四位様厚き思召を継て管内の四民うへこゝえのうれへなく各其処を得せしめむ事を希う中にも百姓ハ暑寒風雨もいとはす骨折て貢を納め夫役をつとめ老人子供病者にさへ暖に着せこゝろよく養ふことを得さるは全く年貢夫役のからき故なりと我ふかく恥おそるいかにもして此くるしみをとかむとおもへとも今直に本免をくつろくることを得す先左之通

一上米    一口米三稜     一会所並村出米銭4
右稜々を差ゆるしぬはた又壱歩半米は凶年損毛償の為に備をきしことにさむらへとも向後をさむるに及はす是迄の請免を假の定免とこゝろへいよいよ農業に精をいれ老幼養育しあまりあるものは親族組合等の難渋をすくひ相互に人たるの道をつくすへきもの也

七月

知事

(裏面)

肥後藩旧知事細川候護久 朝政維新ノ初、夙(つと)に盛治ノ今ニ至ルヲ洞察シ、首二雑税教条ヲ除キ、以テ庶民ヲ賑恤(しんじゅつ)ス比令ノ発スル也、管下の民歓欣鼓舞(かんきんこぶ)、隣藩ノ民之ヲ聞キ、皆其民タランコトヲ冀(こいねが)フ是ヲ以県治ノ華ナルニ及ト雖(いえど)モ、蓋(けだ)シ県ノ民其思穂ヲ奉戴スル、殆ド周民召伯ヲ追慕スルガ如シ、今茲(ここに)明治六年十一月、中江滝水両村ノ士民碑ヲ建候賜フ所ノ書ヲ刻ス、此挙蓋(けだ)シ、六小区中両村ヲ以テ始トス、余常ニ候ノ先見ヲ感服シ、且両村ノ盛挙ヲ嘉シ聊(いささか)其ノ端緒ヲ裏面ニ録シ、以テ千秋の亀鑑トナス

大分県六大区八小区桑木村士族衛藤大粛敬誌

参考文献

波野村史編纂委員会 編『波野村史』波野村、1998年

周辺情報

遊雀地区には四国霊場遙拝所があり、多くの石仏を見ることができます。

地図

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