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新塘(しんども)長洲町

新塘のイメージ

所在地

玉名郡長洲町長洲

利用案内

  • 駐車場:金魚と鯉の郷広場利用
  • トイレ:金魚と鯉の郷広場利用

解説

加藤清正の干拓事業と長洲

加藤清正の河川工事や干拓事業はよく知られています。特に玉名郡では、千田川原付近で大きく南に流れ、伊倉・横島方面へ流れていた菊池川を現在の流れに変え、さらに横島と久島山のあいだに石塘を築き、小田牟田新地を開くという大工事を行なったとされています。
長洲町域でも、加藤時代から干拓事業が進められてきました。岱明町扇崎と長洲町腹赤とのあいだに築堤して開いた慶長年間の行末塘新地(104町7反)、長洲町出町と堀崎とのあいだに築堤して開いた慶長11年(1606年)の古塘新地(60町)、同年に建浜と塩屋のあいだに築堤して開いた菜切塘(なきりども)新地(60町)、塩屋と平原のあいだに築堤して開いた塩屋塘新地(60町)など、海岸に沿って堤が築かれ広い干拓地が造成されました。

新塘はいつ作られたのか?

寛文4年(1664年)に長洲村大明神と平原のあいだに築堤し、新地が開発されました。この新地の開発にあたり、費用は藩が拠出し、長洲・高浜・梅田・永方・塩屋の人びとが労力を提供しました。この新地の開発と同時に、長洲と清源寺を結ぶ海岸に防潮堤を築き、12年の年月をかけて石垣の立派な堤防としました。これが現在に残る新塘です。当時、この新塘が築かれたところは硬い岩盤の上に長い砂州(さす)が広がっていて、それを利用してつくられたものと考えられています。完成時の全長は1880m、幅は3.6m~5.6mで、2基の水門を備えていました。

新塘の松林

新塘が築堤され開拓された新地でしたが、何度も暴風や高潮などで農作物が被害を受けたため、江戸末期に堤防に松を植え、防潮林としました。その松の姿は現在も受け継がれ、樹齢が100年を超えるものが300本ほど林をなしています。
玉名郡市の有明海沿岸には、長洲町松原の長洲霊堂付近に残る松林や岱明町に残る松原海水浴場の松林などが当時の姿を残しています。

参考文献

長洲町史編纂委員会 編『長洲町史』長洲町、1987年
熊本日日新聞情報文化センター 著『くまもと水と緑の百景 ふるさとシリーズ3』熊本日日新聞社、1986年

周辺情報

長洲町は金魚の町として有名で、金魚と鯉の郷広場内の金魚の館では、さまざまな金魚を見学することができます。

地図

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