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菊池城跡と十八外城(きくちじょうあととじゅうはちとじょう)菊池市

菊池城跡と十八外城のイメージ

所在地

菊池市隈府

利用案内

  • 駐車場:あり
  • トイレ:あり

解説

十八外城の中心菊池城

菊池城は、単に菊池本城、また守山城、雲上城、隈府山城ともいい、菊池市隈府の北側にある城山という丘陵地にありました。
菊池氏の本拠は、15代・武光までは初代・則隆が築いたといわれる菊之池城(菊池市深川)だったようですが、1373年に菊池城に本拠を移したと考えられます。築城年代については、16代・武政が築城したとも伝えられていますが、はっきりわかっていません。
城の遺構としては、城の北側に底幅9m、長さ60m、縁に高さ3mほどの土塁が認められます。 北朝方の九州探題・今川了俊は、1372年に大宰府を陥落させると、1374年に菊池郡に侵攻、1379年より本格的に菊池攻略に乗り出しました。板井城や菊の池城などの諸城に続き、ついに菊池城も1381年6月に陥落しました。17代・武朝は了俊に降伏し、本領は安堵されました。19代・持朝は幕府から筑後国・肥後国守護職に任命され、城下は肥後国守護府となりました。

十八外城

戦乱が長期化・広域化するにつれ、自然の地形や山寺を利用した支城の役割が重視されるようになります。支城は相互に、また本城と連携をとり、堅固な防御線を築きます。特に、菊池では十八外城が知られています。
菊池氏に関連する城は菊池市内外に30余りあるといわれます。こうした諸城についは、江戸時代初期から考察されていますが、「十八外城」という語句は、渋江松石が寛政6年(1794年)に著した「菊池風土記」で初めて使用されたようです。
「菊池風土記」は、山鹿・玉名方面を押さえる台(うてな)城(水島城)・打越城・正光寺城・馬渡城・増永城、その防御線を支える亀尾城・神尾城・菊の池城、亀尾城とともに合志方面に備える古池城、菊池城を守る戸崎城・城林城、本城背後を守る掛幕城・市成城、さらに後方に黄金塚城・元居城・五社尾城があり、鷹取城、葛原城をあわせて十八外城としていますが、なかには城址の遺構が見出せないものもあります。

参考文献

菊池市史編さん委員会 編『菊池市史 上巻』菊池市、1982年
菊池市歴史民俗史料収集室 編『史跡・文学碑とのふれあい』菊池市教育委員会、1994年
阿蘇品保夫 著『菊池一族』新人物往来社、2007年
熊本県教育委員会 編・発行『熊本県文化財調査報告 第30集』、1978年

周辺情報

菊池城址には、明治時代に菊池神社が創建されました。
敷地内にある菊池神社歴史館では、菊池氏に関するさまざまな資料を見ることができます。

地図

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