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一夜塘跡(いちやどもあと)熊本市

一夜塘跡のイメージ

所在地

熊本市中央区子飼本町

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

小旛八幡宮から道沿いに進むと右手側に高さ3mほどの土盛が80mほど続きますが、これは江戸時代に築かれた堤防です。昔から白川が蛇行する子飼橋付近では常に住民は洪水に悩まされていました。そのため白川の治水を進めることは付近の住民にとって、自分たちの生活を守るうえで非常に重要なことでした。
加藤清正が熊本の領主となると、洪水を防ぐために当地に土塁を築き堤防としたと伝わります。清正は、このほかにも白川の治水政策を推し進め、現在でも20か所余りの治水工事の遺構が確認されています。
しかし、清正が造った堤も寛政8年(1796年)6月の白川大洪水で決壊してしまいました。そこで、藩主・細川斉茲(なりしげ)が幕府の許可を受け、同年6月から年末にかけて新たな堤防を築きました。工期中は斉茲自ら現場に赴き、工事を監督したといわれています。
完成した堤防は当初、「豊年塘」とよばれていたようです。堤防が完成したことで豊年になったのか、それとも豊年になるよう願いを込めて名付けられたのでしょうか。
その豊年塘もいつごろからか、工期が短くすぐに完成したこと(約半年間)から「一夜塘(いちやども)」とよばれるようになりました。実際に一夜で完成という訳にはいかなかったようですが、それでも当時の工事期間としては異例の速さで完成したことから、あっという間に完成したという意味で一夜塘と名付けたのではないでしょうか。

参考文献

高田泰史 編『平成 肥後国誌 上巻』平成肥後国誌刊行会、1998年
高田泰史 編『平成 肥後国誌 下巻』平成肥後国誌刊行会、1998年
熊本市北部地区文化財調査報告書編集委員会 編『熊本市北部地区文化財調査報告書』熊本市教育委員会、1971年

周辺情報

近くの見どころ:小旛八幡宮、御薬園(蕃滋園:ばんじえん)跡など

地図

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