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重盤岩(ちょうはんがん)津奈木町

重盤岩のイメージ

所在地

葦北郡津奈木町岩城

利用案内

  • 駐車場:無し、モノレールを利用するならば可(30台)
  • トイレ:有り

解説

津奈木町の大断崖「重盤岩」

重盤岩はこんなところ

八代方面から3号線を南下して、三太郎峠(赤松−佐敷−津奈木)と呼ばれる3つの峠をこえると津奈木町に入ります。右手(西方向)を注意して見ていると、ひときわ目立つ岩の塊がそびえたつのに気付くはずです。それが、「重盤岩」と呼ばれる断崖です。高さは100m近くあり、岩頭には国旗が掲揚されているのが見えます。これは、昭和八年に皇太子の御生誕をお祝いして建てられ、以来1日として掲げられなかったことはありません。

重盤岩周辺の地質 

津奈木町周辺で見られる多くの露頭は、輝石安山岩質あるいは角閃石(かくせんせき)安山岩質で構成されているのがわかります。これは、津奈木町一帯に広がっている第三紀・鮮新世の火山岩類で、津奈木火山岩類と呼ばれています。重盤岩も例外ではなく、観察を行うとこぶし程度の大きさを主とした火山岩の塊が多数集合した火山角レキ岩からできています。
レキ同士の間を埋める部分は、レキが細かく粉砕されたものです。重盤岩の基底部(温泉四季彩付近)ではその様子をよく確認することができ、頂上の尾根では、流理構造(溶岩の流れで生じる結晶の配列模様)も確認できます。レキが大きく角張っているものが多いことや、溶岩の流れで生じる構造が見られることを考えると、噴出源が比較的近くにあることが考えられます。また、同様な噴出物が津奈木だけでなく水俣市にかけてもみられることから、当時(第三紀・鮮新世、約400万年前)は活発な火山活動があったことが推測されます。

重盤岩の由来

「重盤岩」とする呼び名になったのは、重盤岩下にある眼鏡橋が県重要文化財に指定された1974年(昭和49年)以来のことです。それ以前には「分度記」をまとめた池部長十郎が、「狂人岩」として紹介しています。当時の村人たちが池部長十郎にそのように教え、冗談をそのまま書き残したと思われます。
また、1784年(天明四年)津奈木御惣庄屋となった徳富太多七は、村人の惰眠を覚ますために毎朝「長半岩」に登り岩頭に立って太鼓を叩いた、とされています。1805年幕府に献上した「肥後国誌」には、重盤岩は「チャウハン岩ト云ウ、高サ、四十四間(約80m)」と紹介されています。

重盤岩に登ってみよう!汗をかいたら、温泉で・・・

重盤岩の頂付近にある舞鶴城公園まで登るにはいくつかのルートがあります。1つ目は遊歩道を利用するルートです。津奈木中学校付近を通る町道から遊歩道へ入るルート(距離はありますが比較的ゆるやかで20分程度)と、阿蘇神社からのルート(距離は短いが、比較的急傾斜)があります。
2つ目は、車で公園付近まで行って歩くルート(駐車場から歩いてすぐです)です。国道3号線沿いに千代バス停を越えて、すぐ西の脇道へ向かうと舞鶴城公園へいく看板(非常に小さいですが)があります。3つ目は、津奈木美術館にあるモノレールに乗って行くルートです。舞鶴城公園まで約5分、全長241mの小旅行が楽しめます。
また、重盤岩下には、津奈木温泉「四季彩」があります。休憩棟から続くモノレールに乗れば、断崖途中の展望露天風呂へいくことができます。そこは、270度のパノラマで気分良く入浴を楽しめます。一汗かいたら津奈木温泉でさっぱりして帰るのも一興です。

参考文献

津奈木町誌編集委員会 『津奈木町誌 上巻』 津奈木町 1993
日本の地質「九州地方」編集委員会 『日本の地質9 九州地方』 共立出版 1992
長峰 智 「重盤岩」『熊本県大百科事典』 熊本日日新聞社 1982

周辺情報

近くに津奈木温泉「四季彩」や眼鏡橋、津奈木美術館があります。

地図

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