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草隅越の油すまし(くさずみごえのあぶらすまし)天草市

草隅越の油すましのイメージ1
草隅越の油すましのイメージ2
草隅越の油すましのイメージ3

所在地

天草市栖本町河内

利用案内

  • 駐車場:なし
  • トイレ:なし

解説

妖怪「油すまし」のルーツは天草だった

天草に濱田隆一という民俗学の草分け期に活躍した民俗学者がいました。この人が1932年、天草の様々な伝承文化を記した「天草島民俗誌」という本を出版しました。この中に次のような話が出ています。
栖本町河内(すもとまちかわち)と本渡市下浦との境に草隅越(くさずみごえ)というところがあります。ある時、一人のおばあさんが孫の手を引きながらここを通り、昔、油すましが出たという話を思い出し「ここにゃむかし、油びんがさげたとん出よらいたちゅぞ。」と言うと、「今もー出る−ぞ−」といって油すましが出てきたそうです。」
この話に興味を持ったのが日本の民俗学の創始者で指導者であった柳田國男です。柳田はこの話を「民間伝承」という雑誌に38年から連載した「妖怪名彙」で紹介しました。これを読んだ漫画家の水木しげるが人気漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の中で名脇役として登場させたことから、油すましは全国的に知られるようになりました。
さて、この油すましの墓と言われるものが栖本町河内地区に残っています。栖本町中心部から河内方面に県道を進み、旧河内小学校を過ぎて50m程の所で左折。数軒ある民家から山に登る道の入り口にある雑木林(ぞうきばやし)を10m程、はい上がるとお目当ての石像があります。 お地蔵さんのような石像ですが、首から上はありません。 石像の近くにも小さく古びた墓が残っていますが、年代を見ると文政(ぶんせい)・天明(てんめい)などと記してあるところから、江戸中期から末期に造られた物のようです。
当時の天草は飢饉(ききん)などに苦しみ、食糧(しょくりょう)に困った時代です。 以前は天草の各地で「かたし油」と言って、椿やサザンカなどの実から油が絞られていました。特にここ河内地区ではかたし油作りが盛んだったということです。
このような話を聞くと、この油すまし、実は当時貴重品であった油の神様であり、「油をそまつに使ったらいけませんよ。」という先人の教えが原点にあるように思えてきます。

参考文献

浜田隆一 『天草島民俗誌』 郷土研究社 1932

地図

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