前のページに戻る

小坂の雨乞い踊り(おさかのあまごいおどり)山鹿市

小坂の雨乞い踊りのイメージ

所在地

山鹿市小坂

利用案内

  • 駐車場:
  • トイレ:

解説

中世を感じさせる雨乞い踊り

雨乞い踊りは、三岳地区の小坂部落に昔から伝わるものです。地域の人々の語り伝えによると室町時代の中頃(600年程前)ではないかと言われています。
付近の西岳(標高648m)頂上に「お池さん」とよぶ池があり、ずっと昔から、どんな日照りの時も水がかれたことがないと言われています。その水の流れ出るふもとに、諏訪明神をまつった神社があります。この神社と頂上の「お池さん」の間を白蛇が行き来しているとの伝説が残っています。杉の巨木がうっそうとして立ち、巨岩の間を清水がほとばしるように流れ、小坂川の源流となっています。
昔、雨が全く降らずに、田畑の米や野菜も枯れてしまい、村人たちは、食べるものがなくて困りました。この時、村人たちは、神社に集まり、ひょうたんに水を入れて腰に付け、笛や太鼓や鉦(かね)をならしながら、うちわを手にして踊り明かしました。すると、雨が降ってきて、米や野菜がいっぱい実りました。こうして、この祭りが始まったといわれています。
この神社は、とても霊験あらたかで、昔は村内をもとより玉名郡や筑後の八女郡、山門郡、遠くは佐賀県からも雨乞い祈願があり、今もそのお礼参りの奉納絵馬がたくさん残っています。
この雨乞い踊りは、男は帷子(かたびら)ハチ巻き、女はゆかた、姉さんかぶりのいでたちで、めいめい右手にうちわ、左手にひょうたんを持って、ひょうたんに入った雨の種をかたむけて出し、うちわでまき散らすという、身振りおかしく踊りまくるとても素ぼくで単純な踊りです。 これをはやし立てる道具には、直径1メートルほどある大銅鑼(おおどら)と、小太鼓、笛、鉦があり、天地をふるわすようなにぎやかな音を立てます。
中空であるひょうたんは古来、神が宿る特別なものであるという考えがありました。これを踊りという芸能に持ちこんだのが空也の念仏踊りです。「鉢たたき」と俗に言いますが、実際にはひょうたんをたたく芸能であったといわれています。小坂の雨乞いは、大きく体を曲げて踊る単調な振りの繰り返しといい、ひょうたんを用いることといい、中世の芸能の姿を今に伝えていて、そこに芸能の価値が見いだされます。
「ひょうたん年かい  雨年かい  ひょうたん年なら  米とろばい  雨年なら粟とろばい」と囃子(はやし)たてながら、にぎやかに、村中の人々が入れ替わり立ち替わり踊っていたそうです。
戦前までは、村中総出で、熱狂的に踊ったそうですが、しだいに踊られることが少なくなっていきました。「雨乞い踊り」がなくなってしまうことを悲しんだ一部部落の人々が、ぜひ将来に残していきたいと運動を起こし、昭和37(1962)年12月7日に、「小坂雨乞い踊り保存会」が結成されました。8年後には、山鹿市無形文化財の指定を受け、遠い祖先が残してくれた「雨乞い踊り」を立派に保存していきたいとがんばっています。現在では、各地の文化祭や記念行事などで踊られています。

参考文献

山鹿市史編纂室 『山鹿市史 下巻』 山鹿市 1985 

地図

ページの先頭へ戻る