井ノ口八幡宮(いのくちはちまんぐう)人吉市
所在地
人吉市井ノ口町949
利用案内
- 駐車場:約4台
- トイレ:なし
解説
井ノ口八幡宮の由来
人吉市井ノ口町にある井ノ口八幡宮は、宝治元年(1247年)に、相良氏2代の頼親(よりちか)が、鎌倉鶴岡八幡宮の祭神である応神天皇・神功皇后・玉依姫(たまよりひめ)を勧請(かんじょう)して創建した神社です。
神殿は桁行3間(約5.4m)、梁間2間(約3.6m)と決して大きくなく、藁葺の鞘堂に覆われています。
井ノ口八幡宮の再建
井ノ口八幡宮は相良氏と深い関係があります。応永7年(1400年)に8代実長(さねなが)が八幡宮を再興、長享2年(1488年)に12代為続が改築し、以後、相良家当主が正月に参詣するようになり、特に為続は明応元年(1492年)に神前で連歌会を催しています。その後、天文19年(1550年)に17代晴広が修復を行い、天正年間に、18代義陽(よしひ)が拝殿を造り替え、万治年間には21代頼寛が本殿を修復しています。このように相良氏は井ノ口八幡宮を手厚く保護しましたが、元禄12年(1699年)の火災によって、すべての建造物が燃え尽きてしまいました。しかし、22代頼喬(よりたか)はすぐに神社の再興にとりかかり、同年11月に完成しました。
明治元年(1868年)までは神仏習合が一般的でしたが、翌年に院号を廃止し、その後、神職が奉仕するようになり、神殿は昭和37年(1962年)に県文化財に指定されました。
参考文献
人吉市史編さん委員会 編『人吉市史 第1巻』人吉市教育委員会、1981年
人吉市文化財保護委員 編『人吉の文化財 第3改訂』人吉市教育委員会、1976年
熊本県教育委員会 編『熊本県の文化財 第2集 建造物・絵画・考古資料』熊本県教育委員会、1980年
周辺情報
人吉市内には、願成寺や永国寺、人吉城跡など相良氏に関係がある文化資源が多く残っています。